山のむこうへ行って来た
2005年2月16日 エッセイ去る11日の日、万葉の里、明日香へ行って来た。
毎日放送ラジオウォークと言うのに大勢の中のひとりとして紛れ込んだわけだ、、
普段歩くことから離れているので行程10キロのウォークに耐えられるか心配であった。
遠足に行く前の子供のように、母親のように弁当を作り、下着類も全部取り替えた。
汗をかいて、風邪の元になっては困るからだ、、あまつさえ当日は冷えこんで雪も舞う寒さだったから、、
朝早くからKへは読経。 四つの猫たちにには飯を与え、
われは手製の赤飯を詰め、チキンの甘煮、ほうれんそうのおしたし、たっぷり弁当を拵え、飴玉、茶のボトル、杖を持参で八時に出かける。
予定より一時間も早くの出発だ。
どうせ家にいても無駄に過ごすばかりだろうからな、、
近鉄線で1度急行に乗り換え大和八木へ。会場藤原宮跡へは10時に着く。
現地までは30分ほど歩く、、先達の人につき、やや迷いながらも、、毎日放送の指示のビラに従がい、、これだけで結構の距離を歩いた。
雨後の地の藤原の宮跡は芝の下草から水が滲み出て春泥だ、、
藤原宮跡のあしたの春の泥 たかと
待ってられないので二時間早く先遣隊としてウォーク始める、、
転ばぬ先の杖を持参した、、少し恥ずかしいかなとも思ったがこれが疲れてくると結構役に立ったよ、、
学芸会にでも使うような「魔法使いの太い杖」だった。
雨は降らないがやや寒い、、 見えているのは香久山か、、 耳成か、 説明がないからわからぬ、、まあそんなところだろう、、 他の人達は「歩こう会」みたいなグループでみな健脚だ、夫婦連れ、二人、三人連れ、親子づれ、、殆どが連れだ、、適当な女人をと、物色したが何れかの部類に属してる、、(笑)
標識多き明日香の里の春浅し たかと
ともにマスク明日香の人に出会いけり 〃
春浅き明日香へスニーカーどかどか 〃
方24平方km、人口4千人余の明日香村は、歴史的遺産を保有し守りつづけて居ると同時に地元の人にとっては生活の場所なのだ。
私達はここを忘れてはいけない、、マナーを持って観光しなければ、、
結局ひとりでの進軍となる、、飛鳥は昔、何度も通って知らないことは無いが、なにせ十数年ぶり、大勢のなかのひとりとして歩きつづける、、
飛鳥川は枯れたよしが密生して立っている。流れも小さいのでこれが!?と首を傾げるが
そんなに大きくは無いのだ、、程なくちゃんと橋の道標に「あすかがわ」と書いてあった。
飛鳥川コースと甘樫の丘コースに分かれたが躊躇なく甘樫の丘コースをとる。
ここは栄華を誇った蘇我氏の城館跡と言われてるところだ。
前に来たときは、昭和天皇の来臨直後で登り道が築地で真新しかった。そのお蔭で今も比較的楽に登れる。 万葉学者、犬養孝氏が案内されたが、もう両者ともこの世に亡い。
頂上からは明日香の全貌が見渡せる。耳成、畝傍、香久山の大和三山。遠く二上山も望める。あのはるか向こう側から今日はやってきたのだ。
藤原の宮跡では白いテントが張られまだ本隊は準備中みたいだ、
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