どうしても 届かない夢 柱かな    今 ひゅう太


  日記帳つながりで辿り付いたサイトで発見した俳句だ。

人の頭の中のあってないような思考と具象的で即物的な“柱”と言う
物とが不思議な関わりを醸し出している、、

例えば、齢重ねてわれを思い返すに、、自分の考えに沿った仕事が出来たか、、とか、、いやまだ途中でしかないのか、、カール・プッセではないが、山のあなたのものを追いかけてやまぬ、、
立ちふさがる太い柱、、これが現実であると、、、

もう名を成した俳句の先生に聞いたことがある、、
原稿の締切りに追われると名詞カードを幾つもばら撒いておき、
それらを組み合わせていくつかの作品に作り上げるのだと、、

そう言えば私たちも若いころ集まって幾つかの単語を書いた白紙を
ぶつけ合って“言葉遊び”をしたことも有ったな、、

ただ、著名氏先生の言うのは比喩であって日頃のあくなき創作心の
蓄積の裏付けが有ってこそ始めて成せるわざなのである。

 柱のつながりで、“柱”俳句の名品とも言うべき


    いっせいに柱の燃ゆる都かな 三橋 敏雄


 この作品は先の大戦で首都の燃えゆく炎の中にいくつもの柱が崩れ落ちていく様を描いたものだ、、


   国のみやこのそれも、柱が燃え落ちてゆく、、この壮絶!!


 これには、いわゆる俳句の“約束”とも言うべき季語がない。
無季の作品である。  季語が有ってものんべんだらりと お俳句でございますーー が多い中こう言うのは独特の光を放つ!!


 世に戦がある限り、この俳句は普遍性を持って生き続けるだろう


 季語は要らない、、作品の中に確固とした“柱”が有ればよい、、
 私はそのように考えている、、


 この作品は文字通り“炎える柱”がキーワードであり 柱 である。



 ●もうお気付きだろうが冒頭の俳句はコンピューターによる合成語
によって成された作品なのです。

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